店舗のご案内store |
店舗案内・深大寺窯の歴史
- むさし野深大寺窯 ホーム
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店舗外観 |
木々の中にたたずむ平屋作りの建物です。たくさんの陶磁器がところ狭しと並んでいます。
赤いのぼりと大きな信楽焼のたぬきが目印です。 |
焼成品コーナー |
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深大寺焼の土鈴、楽焼、陶磁器の他、信楽焼、越前焼、美濃焼、京焼など、
様々な陶磁器製品を販売しております。 |
陶芸体験コーナー |
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素焼きを選んで絵付けをしていただくと、オリジナルの焼き物が20分で焼き上がります。
店舗内は今は珍しい土間となっており、冬にはダルマストーブが登場します。 また、お店の前には小川が流れていて、夏は涼しげな雰囲気をかもしだします。 |
窯場 |
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コークス窯当店では手作りの灯油窯、コークス窯の他、電気、ガスの窯があり、
それぞれの用途に合わせて使い分けております。 これらの窯はご自由に見学できます。 |
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制作現場 |
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電動ろくろ2当店のろくろ製品はこの電動ろくろで作られます。週2~3回挽いております。
ご自由に見学できます。 |
陶磁器製品の製作作業場兼店舗となっている当店では様々な商品を製作しております。
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手びねり2制作作業はご自由に見学できます。
又陶芸に関する事等、お答えいたしますのでお気軽に話しかけて下さい。 |
深大寺窯の歴史history
森の中にたたずむ創業当時の当店 |
創業当時のむさし野深大寺窯創業当時の当店、むさし野深大寺窯です。
周りにはまだお店も少なく参拝客もまばらだったそうです。 今でも緑の豊富な深大寺ですが、当時の当店は森の中に立っていました。 |
深大寺窯の歴史 |
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当店むさし野深大寺窯は吉田実、馬場信子夫妻が昭和32年に創業しました。
終戦から10年あまり、深大寺北町(現深大寺陶芸教室)で細々と 作陶を続けてきた夫妻は縁あって深大寺山門前にらくやきの店を開くことになりました。 当時は素焼きの生地に絵付けをして20分で焼き上がる「らくやき」など参拝客にはよく解らないものだったようです。 その後、高度経済成長に乗り人々がだんだん行楽を楽しむようになり、 次第に深大寺にも参拝客が増えてきました。 創業当時はホッタテ小屋だった当店も数回の改築を行ない現在にいたっています。 |
同角度から見た深大寺窯同角度から見た現在の当店
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昭和40年頃の深大寺窯昭和40年頃の当店
写真中央、門前の前で蜂蜜を売っています。 ずいぶん人が賑わっているので 温かい春の日の日曜日の写真だと思われます。 |
創業当時の楽焼窯創業当時の楽焼窯
現在と構造はさほど変わっていませんが 小さな窯で毎日コークスを焚いていました。 |
昔の店内 |
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昔の店内1昭和30年代後半、門前側から撮った写真。
手前にある自転車が時代を感じさせます。 |
昔の店内3焼成品を見る親子
当時は仕入れたものはほとんど無く、 焼成法も限られていましたが 当店で制作できるものを細々と販売していました。 |
昔の店内2昭和50年代頃、楽焼の絵付けを楽しむ人々
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昔の店内4現在もこの風景は変わらない
昭和50年代に入ると周りにお店も増え 随分当店も賑わうようになっていました。 |
馬場信子、吉田実、創業者夫妻 |
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昭和60年頃、土鈴の絵付けをする馬場信子。
90歳を越えても作陶活動はもちろん、 漢詩や御詠歌、小説などサークル活動を続けています。 生涯学習とはこの人のためにあるような言葉です。 当時は女性でろくろを碾き商売をしている人は ほとんどいなかったと思われます。 開業当時栃木県益子の窯元まで泊まり込みで修行に行き、 わずか1週間で水挽きを身につけたそうです。 |
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昔の店内2昭和40年頃、水碾きをする馬場信子
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ロクロを碾く馬場信子昭和50年頃楽焼を焼成する馬場信子
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焼成品をながめる吉田実焼成品を眺めるる吉田実
昭和20年代頃、 自宅にある倒炎窯の前で撮られた写真と思われます。 |
窯出しをする馬場信子窯出しをする馬場信子
窯焚き、窯出しをするのはかなりの重労働。 この窯は当時の素焼き窯、 薪(まき)の窯で一日中薪を焚いていました。 女手ではかなり大変なことだったと思われます。 |
吉田実2当店にはほとんど顔を出さない吉田実でしたが、
だるま市で知り合いが来た時に撮った写真のようです。 |
吉田実1昭和40年頃の吉田実 写真中央
だるま市にて当店の前の出店、金物屋を見ています。 |
馬場信子馬場信子当店の創業者にして陶芸家吉田実の妻。 多才な才能を持ち、陶芸に限らず短歌、和歌、漢詩、三味線、御詠歌、及び小説を書くなど、多方面にわたり活躍。 85歳をこえて書いた小説に至っては「深大寺短編恋愛小説公募事業」において第1回、第3回と二度にわたり受賞。 平成31年3月8日没、享年98歳。 |
吉田実吉田実馬場信子の夫にして深大寺窯の創始者、現深大寺陶芸教室に窯を築き長年にわたり作陶活動を続けてきた。 享年77歳。 作品は深大寺陶芸教室ギャラリーにて常設展示。 |
略歴大正9年10月27日 中国文房具店、丸ビル和風堂店主「一路居士」本名馬場一郎の四女として生まれる。 昭和17年 陶芸家吉田実と結婚 昭和32年 むさし野深大寺窯開業 この頃知人を頼り栃木県益子へロクロ水挽きの修行に出る。 以降、らくやき屋の女主人として息子たちやアルバイトの若者らとともに店を切り盛りする。 当店のベストセラーである深大寺土鈴やオリジナル釉薬光悦釉による楽焼の「野の花皿」など数々の名作を生み出す。 また従業員の中から多数の芸術家を輩出。 平成17年10月 ペンネーム「吉田信」で第一回深大寺短編恋愛小説「深大寺恋物語」に応募、第2位(佳作)受賞 平成19年10月 第三回深大寺短編恋愛小説「深大寺恋物語」に応募、第2位(審査員特別賞)受賞 ※第1回3回とも全国より公募で約300作中 深大寺短編恋愛小説公募事業 平成22年10月 短編小説集「石斧の恋」出版 |
略歴明治44年5月22日生 昭和4年4月 帝国美術学校予科工芸図案科入学、作陶を専攻、藤井達吉に師事 昭和9年8月 藤井先生の指導で瀬戸へ築窯、作陶会に参加 昭和14年 帝美の近く深大寺に築窯居住、新協美術会員 昭和17年 馬場信子と結婚 昭和32年 むさし野深大寺窯開業 昭和41年 日府展工芸部理事 昭和44年 日本山林美術協会委員 昭和53年 亜細亜美術協会工芸部委員 昭和58年 持病の喘息に低肺症を併発し入退院を繰り返す。 昭和63年8月24日没 |
石斧の恋 吉田信お問い合わせ
042-483-7441(当店) |